捨てる勇気

2018年が終わる…。この一年、自分が何も変わっていないことに驚愕するとともに、何事もなく無事一年を終えることができ、安堵している次第です…。

 

さて、中教審の学校における働き方改革特別部会の答申素案が示されました。

日々この問題を注意深く見守ってきたみなさんなら内容もよくご存知かと思います。

大きいところでいうと、

・残業の上限の設定

・給特法はそのままに変形労働時間制導入

になるかと思います。

しかし、残業の上限に法的拘束力はなく、「本当に変わるのだろうか」と不安をいだいている教員は多いと思います。

それでも教員の働き方改革を国が推進しているというお墨付きをもらったことに変わりはなく、校長や教育委員会は素案にある対策を粛々と進めなければならなりません。また教員も、以前なら「働き方改革」の「は」の字を出そうものなら周りの冷たい視線を一身に浴びて疲弊してしまうところでしたが、今なら行動に移しやすのではと思います。

今が教育現場が変わるチャンスであることは間違いないのです。

 

そうは言っても、現場での業務削減には限度があります。道徳の教科化や英語・プログラミングの必修化でもわかるように、文科省からは際限なく仕事が降ってきます。これは一部の教育学者も「子どものため」という名のもとに学校の業務量を増やしてきたと認めており、事実、さいたまの給特法裁判の原告の教員が変わっていった教育現場について証言しています。

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中教審も多すぎる業務量については部活動を筆頭に対策案を出していますが、正直どこから手を付けていいかわからないほど教員が日々行っている業務は膨大です。

言ってみれば、精神と時の部屋(どこまでも続く真っ白い部屋)に服やら雑誌やら日用品やらゴミやらが無造作に山積みになっている状態です。ここでこんまりのごとく「心がときめく」を基準にしていては何も断舎離できないのです。すべて子どものために必要だと言われてやってきたのですから。

我々はすでに「教員も労働者である」と認識できました。教員の真の役割とは何か。教員が一日でできる業務はどのくらいなのか。基本に立ち返って自分の体にフィットするワンルームへ引っ越し、本当に必要なものだけを運ぶべきなのです。

 

では捨てられた業務はどうするのか、という問題が新たに発生するわけですが、一度やめてみて、必要であれば新たに仕組みを考えて始めればいいのではないでしょうか。

日本では、教育はなにか触ってはいけないものとされ、実験が行われにくいという話も聞いたことがあります。失敗したら全ておしまいと考えるのではなく、ステップアップのための試行錯誤と考えて、常に進化し続ける学校教育でありたいものです。

 

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

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