足りないのはルール作り

 

大寒波到来中。今年一番「寒い」という言葉が使われているであろうこの頃、いかがお過ごしでしょうか。日本では年間の死者数が熱中症よりも室内での凍死の方が多いらしいので気をつけてくださいね〜。

 

 

さて、東京都町田市の高校で起こった教師の暴力事件。次々と起こる子どもを巡るニュースに最近ではめっきり目にしなくなりましたね。記事にしようかどうしようか迷っていたのですが、調べ始めてすぐに記事にすることに決めました。

 

 

なんか体罰擁護派多くないですか……?

((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

 

私はテレビを見ないのですが、ある記事に様々なワイドショーの芸能人コメンテーターのコメントが並んでいました。

news.livedoor.com

 

この芸能人たちの声を「“世論”」とクォーテーションマークをつけて表現していますが、尾木先生以外の学校の専門家や体罰の専門家の声はニュースとしてはほとんど拾うことはできませんでした。

ameblo.jp

 

 

多くの場合学校においては先生が強い立場で生徒が弱い立場に置かれていますが、今回の件では、1対大勢、仲間たちが見ている中でイキりたい、承認欲求が全面に出ているので通常の強者・弱者の構図は成り立ちにくくなっています。

ピアスがどうして校則違反なのかはわかりませんが、生徒は先生を怒らせようと意図的に言葉の暴力を働きました。それでも暴力(体罰)で解決しようとした行動は100%間違っています。言われっぱなしは可愛そうという意見もあるようですが、暴力じゃなくても他に方法はいくらでもあったからです。

尾木先生は、もし自分が言われたら「体もちっこいからね、脳みそもちっこいのよ、ごめんね。」と流すと発言し、事前に謹慎・停学処分にする方法もあったと話したようです。(全文表示 | 「高校暴力動画」週末番組でも意見割れる 尾木ママ「もし僕が言われたら...」 : J-CASTニュース

この尾木先生の「事前に謹慎・停学処分」というところがミソです。

 

 

2014年の論文ですが、大津尚志先生の論文にはアメリカとフランスの生徒の懲戒・体罰に関する法制度が参照されています。(http://www.mukogawa-u.ac.jp/~edugrad/img/reaserch_result/ronsyu/ronsyu09/902otsu.pdf

そのうち、資料2の「テネシー州、ジャック・マディソン学区North Side高校のHandbookより」を見て、胸のつかえが下りた気がしました。単純明快、ある行動に対し、誰がどのような懲戒をあたえ、その後どうする、というところまで明文化しているのです。これなら現場の先生はやりやすいし、ルールに支えられているという安心感はどんなに理不尽な場面に出くわしても自分を見失わずに済みそうです。

 

 

日本の教員は日々過酷な労働環境に置かれているため、問題児と対峙した場合の素晴らしいノウハウをそれぞれ磨いてきたのだと思います。おそらく今回の高校でも優秀な先生が多く、問題児に対する対処はそれぞれの先生に任せきりで、上に挙げた論文のアメリカの高校のようなルール化はなされていなかった、または形骸化していたのではないかと思います。「とはいえ本校の生徒だし、懲戒なんて…」といった感情論に流されて個々の教員の力に頼りきっていたのではないでしょうか。

 

 

こんなにルールでガチガチに固めて生きにくい世の中になったもんだと思うかもしれませんが、学校だけを特別な場所にせず、外のルールを中にも適用するということだと思います。

ルール化をしなければ、こんな悲劇も起きてしまいます。

juniorhighschoolkill2.hatenablog.com

 

こんなに大きな事件なのに「子どもだから大目に見る」と言って感情が赴くまま対処してしまう「世界」は異常です。子どもだって凄惨な事件を起こすこともあるし、更生できない場合もあるのです。「子ども=ピュア」という妄信は危険です。

 

しかし、上に挙げたアメリカの高校のハンドブックの追加ガイドラインには、懲戒処分が行われたとしても、それを理由に特別な場合を除いて生徒の成績を下げたり、コースや学年の進級を妨げたりしてはいけないと書かれていて、頭が下がりました。生徒の問題行動と成績や学ぶ権利を切り離しているのです。これは生徒がやり直すチャンスもちゃんと与えているということです。

そもそもなぜこの町田の生徒がこのような言動をとってしまったのか、という視点も大切です。そこまでに至る大人たちの対応は適切だったのでしょうか。ここで言う「大人たち」は保護者や学校の先生だけではありません。地域住民、ひいては私を含め日本の大人たち全員に責任があると考えます。子どもたちを取り巻く環境は大きく変化しています。その環境は一人の例外もなく全ての大人が「協力して」作ったものです。山の手線に乗ってきたベビーカーを冷たい視線で睨む社会。結婚延期になった男性の母親の借金の問題に他人がああだこうだ言い合うテレビ放送を毎日毎日垂れ流す社会。日本語が大好きだと言ってくれる人のタトゥーを一斉にあざ笑う社会。政府が調査を偽っていたことが発覚しても「どうせ何言っても無駄」と諦めて何も行動を起こさない社会。このような社会でハツラツとした子どもが育つでしょうか。未来に希望を持ち、社会に貢献するために進んで学ぶ子どもたちを育てるためには我々一人ひとりが社会に対する向き合い方を見直さなければなりません。

 

 

とはいえ学校現場ではこれは日々起こっている問題です。「大人なめんなよ」なら、顔を真っ赤にして暴力を振るう姿ではなく、椅子に座って背筋を伸ばし問題行動に見合った懲戒処分を冷静に下す姿で言いたいものです。

 

 

 

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