不自由な学校

学校って窮屈なところですよね。皆さんも記憶に新しいニュースに、大阪の高校で黒髪を強要したというものがありましたね。

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このニュースを聞いたほとんどの人がこの教員けしからん!という感想を持ったことでしょう。実際ネット上でも生徒の人権を無視した行為だという意見が多かったように思います。

心身ともに傷ついてしまったこの女子生徒は本当にかわいそうです。

同時に、学校側・教師側に思いを巡らせてみると、このような対応をしたのは「事なかれ主義」から来るものだと思います。

「髪の毛を茶色くした」生徒を近所の人たちに見られたらどう思われるだろうか。クレームをつけられて指導が甘いと教育委員会から怒られないだろうか。「不良」がいる高校と思われて入学する生徒が減るのではないだろうか。内部を考えると、「茶髪」のまま放置することで他の生徒が真似をしたりして、普段の生活でもいうことを聞かなくなったりするのではないだろうか。他の教員から指導を怠っていると思われるのではないだろうか…等々、何か面倒なことが起こる前に芽は潰しておこうという極端な防衛体制が見て取れます。

 

もう一つ、学校のルールのニュースを取り上げたいと思います。

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教育関係のランキングからのイメージで、日本よりも良い教育をしていそうなフランスでもこのような動きがあるそうです。

休み時間にも携帯電話ばかりいじっていることなどが理由とのことですが、確かに前かがみになってじっとしているよりは、友達と直に話したり、リアルに遊んだりするほうが「健全」なのかもしれません。

 

 

集団生活では、バラバラである状態よりも、ルールを作ることによって言うことを聞いてくれるひとかたまりになってくれれば日常の業務が楽になることは間違いありません。

昔から日本列島に暮らしてきた人種にはいわゆる黒っぽい色の髪の人が多いのは確かだと思います。そして今までの慣例は「『黒髪』のほうが社会に相応しい」というように「見た目」に極端に拘っていたように思います。しかしこのような考えは「上の世代から押しつけられたもの」だとは考えられないでしょうか。

思春期には、髪の色に限らず人と同じではなく自己を表現したいという欲求があります。そのような欲求を学校は往々にして押さえつけます。しかし、そのような表現も成長の過程の一部であり、それを開放してやるのが大人の役目だと思います。「見た目」ではなく中身さえしっかり育てば将来はその場に相応しいものを選択できる大人になれるのではないでしょうか。

また携帯電話禁止の例では、これからの社会はスマートフォンという形態ではなく、もっと自然に溶け込むような形でデジタルデバイスが我々の生活の一部になっていると考えられます。そんな未来へ向かうというのに携帯電話禁止で人とコミュニケーションを取りなさいというのも何だか変な感じがしますよね。「子どもは友達と直に話したりリアルに遊んだりするほうが健全」というのも我々大人の理想や常識であって、今後は必要のない「負の遺産」であるほうが確率が高いのではないでしょうか。

 

孫泰蔵さんがフェイスブックに投稿したという文章を見つけました。 

イーサリアムの提唱者ヴィタリクさんに会ったときに感じたことが書かれています。ちょっと長いですが抜粋すると、

きっといろいろな人が彼らにいろいろ言ってくるのではないかと想像するが、本人たちは、純粋に世界をもっと良くしたいと真摯に取り組んでいて、まったく変な人や世界に染まっていないということに、僕は心の底から感動してしまった。そして、彼らを見ながら、僕はある事実にあらためて思いを馳せずにはいられなかった。

それは、「世界は常に若者が変えてきた」という事実だ。

1990年代、20代の僕達がインターネットを信じ、インターネットの可能性に賭けていた頃、大人たちはちっとも理解してくれず、なにもサポートしてくれないどころか、なにわけのわからんことやってんだと変な目で見られることしかなかった。それがとても歯がゆくて、僕らは斜に構えて心のなかでそういう大人たちを馬鹿にすることでしか対抗できなかった。

それから20年が経ち、いま僕がその「大人」の側にいる。僕らが味わったような、あんな思いを彼らに絶対させたくないと思った。余計なことを言って彼らの邪魔をしたりせず、ただひたすら彼らのフォロワーとしてサポートし続けようと思う。

今こそ、あの時の僕の悔しさに決着をつける時がきた。僕は、僕自身が、彼らにとって望ましい大人になることによって、あの頃、僕らに冷たかった大人に対してリベンジを果たすのだ。

いつも私たちは自分たちが世界の中心だと考えてしまいますが、それは完全に幻想で、日々刻々と下の世代にと世界の中心は移っているのです。

学校を運営しているのは悲しいかなもう出がらしのような大人たちです。孫さんの文章を読んで「大人は子どもより優れている」という考え方を捨てて子どもと向き合わなければならないと反省させられました。

最後にもう一度現状に戻って考えてみると、「個性を大事にしろ」「これからはITだ」と言われる一方で出る杭は打たれる。教師ばかり責めるのは違うと思います。現場の教師は周りからの評価に敏感になっています。教師個人に全てを押し付けるのではなく、運営の仕組みなど、ハード面を整備していくことが求められます。また、地域住民や傍観者は変に意見せず、その学校の方針を見守っていく姿勢も必要かもしれません。

 

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