とにかくこのままではいけない、という焦りがあるんです

日本っていい国ですよね?インフラも整ってるし、食べ物はおいしいし。

でも、ふと我に返ってみると、日本って生きにくい国ですよね?

何か失敗した人がいればマスコミを筆頭に総動員で袋叩きにして吊るし上げる他者に対する思慮の欠如、数年に一度の台風や大雪になるとわかっているのに出勤しないといけないという強迫観念に襲われる異常なまでの空気読め感、電車が一分でも遅れようものなら「大変申し訳ございませんでした」と繰り返し謝罪する事なかれ主義

 

なにかおかしい…社会全体が狂ってる…、そう感じるのは私だけではないはずです。

 

この「生きにくさ」を作っているのは、集団生活を強いる最初の場所、学校なのではないかと思います。

 

これからはアクティブラーニングッ!!!、自らの考えを発信する云々…等々、今の授業内容を変えるような提案が現在進行形でなされていますが、みなさんはこのような授業が可能だと思いますか?

みなさんが知っているクラスの雰囲気を想像してみてください。ちょっと無理がありますよね。学校ってそういう場所になってしまっているんです。

最低でも一年間同じ場所での共同生活を強いられる状況で「仲良く」するように求められます。最初はうまくいくかもしれませんが、ちょっとしたことからカーストが生まれ、暗黙のルールが作られます。時としてそのルールは180度変わってしまうこともあります。そのような不安定な環境の中で逃げることが許されない子どもたちは「出る杭」にならないように必死になるのです。

 

村八分という言葉があるように、日本では昔から集団が個人を監視することで秩序を保ってきた国です。しかし、以前はもっと寛容な社会だったように思います。

当時に比べると、その経済状況や人口比率の変化、インターネットの普及などが加わって、集団の中で極端なまでに「正しさ」を求められるようになっています。(その「正しさ」も集団の中では簡単に変わってしまいます。)

 

大人数を一気に同じ方向に向かせられる利便性から長らく続けられてきた集団という学校のシステムは、確実に歪みが生じてきていると思います。

萎縮しながら生きていくのは辛いですよね?失敗したって「次があるさ」と言ってくれる、大雪の日は「もちろん会社来なくていいよ」と言ってくれる、一分遅れても「あ、そう?」と言ってくれる、私の国はそんなおおらかな国であってほしいと思うのです。

 

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