ゼロ高爆誕 設立背景について

異常気象がデフォルトになってきましたね。自分の身は自分で守る時代に突入しました。

 

さて、ゼロ高等学院、誕生しました。

zero-ko.com

 

「座学より、行動」という部分が巷では大きく取り上げられています。

まず、行動に移せる人が生き残れる。行動に移せば学ぶべきことが出てくる。自分の行動に紐づく学習であれば意欲も湧くし、楽しく学べる。そして無理だと思ったらフットワーク軽く次へ移る。

ほんとそうですよね。今高校(もしくは大学)までの勉強って、実社会とのつながりの実感がないのが問題で、それを教えたところでその分野に興味がなかったら結局楽しくない。

まさに人が勉強する動機は行動から生まれるものだと思います。

 

でも、今日注目したいのはHPにある設立背景です。(教育方針のページ)

現代の日本では、学生の社会への道は限られた就職活動期間という時間の中で決まります。できる限り多くの企業を訪問し、納得感の有無に関わらず、内定を多く勝ち得ることで開けてきました。しかし、そのような世界は限界が来ています。

 

これを見たとき、ちょっと鳥肌が立ちましたよね。意外や意外、ここからだったのか、と。

 

「就職」という学校教育のゴールのためにいい大学に入り、いい大学に入るために大学受験勉強をし、その大学受験のために高校があり、その前段階としての中学、そしてこれから長い軍隊式集団生活に入るために「静かに座って先生の話を聞きなさい!」と無理やり叩き込む小学校。

つまり、現代日本人が考える理想の「就職」をしなければ、上のすべてをしなくてもいいのです。

 

戦後、日本は様々なものを積み上げてきました。そしてそれに何の疑問も持たず、自らをどんどん生きづらくし続けています。狭くなってしまったそこに入れない人がいるのは当たり前なのに、入れないでドロップ・アウトした人を社会不適合者とみなしてきました。

しかし、これからゼロ高等学校のような多様な選択肢が増えることによって、きつく縛られていた紐が少しずつ緩まっていき、社会に余白が生まれるでしょう。そして、生きにくさを感じる人が少なくなれば社会はよりポジティブに変わっていくでしょう。

 

最後に、子どもが「ゼロ高行きたい」「N高行きたい」って言ってるけどちゃんとしてるか不安です。って言っちゃう親御さん、それ、完全に老害やからな?

 

10年後の仕事図鑑 

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