いつもこころに夏目漱石

世界は映画やアニメの大流行から一息つき、現実生活への興味へと舵を切っているようだ。

 

しかし、

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物語を読むことが大切らしい。

 

他人の物語(映画や小説)よりも自分の物語(SNSでいいね!をもらう)に関心が移ったり、カリフォルニアン・イデオロギーによってテクノロジーが私たちの社会を確実に変えていたり、働き方改革なんかで自分の生活や人生に目を向ける人が多くなってきた。

そのせいか、現実から目を背け(?)て虚構の世界に浸るのが面倒に感じたり、そもそも時間がない、どうせ読むなら実用的なもの、という流れが我々の文化の主流になりつつあるように感じる。

上の記事によると、そのようなビジネス書などを読んでいる人は先見力がないという研究結果が出たそうな!

これが多くの人に当てはまるのであれば先が読めない人がどんどん増えて日本の未来はさらに憂慮すべきものになってしまうだろう(←私の先見力はありますか???)

 

 

評論家の宇野常寛氏は、著書の『母性のディストピア』で

何もかもが茶番と化し、世界の、時代の全てに置いていかれているこの国で、現実について語る価値がどこにあるというのだろうか。いま、この国にアニメ以上に語る価値のあるものがどこにあるのだろうか。

と書いている。

戦後から模倣に模倣を重ね、意味をなさなくなってしまった日本社会では現実を語るよりも、虚構を語ったほうがはるかに有益であり、我々の未来を明るくするというのである。

 

 

こんな記事も見つけた。

宮崎駿になった夏目漱石

https://www.taishukan.co.jp/kokugo/webkoku/kikanshi/kokugo_106/022-025_tokushu_kusamakura.pdf

漱石と言えば、『こころ』『坊っちゃん』『吾輩は猫である』だ。『草枕』は私も恥ずかしながら読んだことはないが、『草枕』はかつての教科書の定番だったようだ。そして宮崎駿はその『草枕』を愛好し、それが後期の作品に現れているというのである。

 

ときに時間の流れが停滞し、ときに時間が逆に流れる。ときに予想と違う展開を迎え、ときに現実の因果関係さえも存在しない。

 

虚構は我々の思考を柔軟にする。だから、予想しなかったことが起こってもびくともしない。それどころか、あらゆる角度から次の展開を予測できる。現実が宮崎駿よりも難解なことがあるだろうか?

我々には宮崎駿夏目漱石もまだまだ必要なのである。

 

 

母性のディストピア

kindle版