先に進んではいけないという呪縛

子どもは大人の世界には踏み込んではいけないという暗黙の線引がありませんか?

 

お金や経営、性に関する質問をすると「子どもはまだ知らなくていいの!」とすごい剣幕で怒られます。それらは子どもに知らせてはならない「汚いもの」という認識なのでしょうか。

学校では4月にその年に勉強する教科書をもらいますよね。もらったその日のうちに読破できそうなくらい薄っぺらい内容なのに、「読んでみよう!」と実際に読んでしまう子どもはかなり少ないのではないでしょうか。もちろん興味がない&勉強の本なんて読みたくない(私もこっち側)という子どもも多いと思いますが、「なんか先に読んじゃうと先生に怒られそう」という感じもありませんか?

ツイッターなどで「うちの子テストでバツを食らったんだけどその理由に憤慨」的な画像をたまに目にしたりします。

授業進度に合わせて自分の勉強も調整しないといけない。足し算をやっているときにかけ算の考え方を取り入れるとバツを食らう・・・。

「学校」には教えてもらったことしかやっちゃダメという暗黙のルールが充満しています。

 

図書館に行くと、どうでしょうか。ここにも「線」が引いてあります。絵本コーナー、児童コーナー。確かに便利といえば便利なのでしょうが、子どもが一般書の方へ行きづらくしているとも言えます。どんな本があるか図書館中を見て回る子どもを見たことがありません。よく知っている「安全な」本にしか手を出さないようにデザインされているのです。

 

与えられたものしか享受しないくせがつくと、自ら探求する力がつきません。子どもにはもっと可能性があるのに、学校や大人が「これくらい」と勝手に線引して上から押さえつけていて本当に将来を生き抜ける人材は育つのでしょうか。

教師の立場としては、発言も誘導しながら予定通りにフィニッシュできれば本当に楽だしそこに学びも生まれるのは確かですが、子どもに必要なのはレールの上を正確に歩かせる訓練ではなく、今の場所からちょっと遠くへ行ってみる体験です。

子どものうちに学ぶべきなのは「危険な」ことです。実社会に出る前に様々なことにチャレンジできる場が学校です。子どもたちの未来を考えるなら、意味のない「呪縛」からは解放してあげるべきです。

 

深海生物ファイル―あなたの知らない暗黒世界の住人たち