人生の成功とは何か
ベッドに入っても眠気がすぐに来ない時、私はよく「今から全部願いがかなうとしたら...?」というリミッターを解除した理想の未来を妄想する訓練をしている。
がしかし、これがとても難しく、どうしても現実に寄り気味の将来を描いてしまうのだ。例えば、「今から医者になるのは無理だから、教育関連の職について…」とか、「ハリウッドセレブと結婚したいとか言って、そもそもどうやって知り合うんだよ草」など、自由に思い描いていいはずの妄想の中でさえ欲望に制限をかけてしまうのだ。
すでに年齢を重ねているという物理的な理由もあるとは思うが、今まで生きてきた社会・時代の空気感が脳の深くまで刻み込まれていて、なかなか「大きな夢」を見られないという精神的な理由も大きいのではないかと感じる。
『夢をかなえるゾウ』で主人公に向かってガネーシャが「やらずに後悔していることはないか?」と尋ねる場面。
僕は過去の記憶を探ってみた。何か、記憶の隅っこの方に、大事な何かが転がっているような気がした。でもそのことを思い出すのはすごくいけないような気がして、僕は気分が悪くなった。
夢を叶える人はまれで、それが大それたことであればあるほど人前で話すことが憚られて、自分の奥底に閉じ込めてしまう。夢を語ったら最後、今ならはやりの「夢が叶えられなかった人の気持ちも考えてください!」というクソリプもついてきそうだ。
それに、一通り事が済んでしまったこの国では、なんとなく「もう分かった気」になって、夢を見たり叶えたりすること自体を止めてしまうのだ。
実は、この主人公はやりたかった仕事につけないわけではなかったようで、世間体や収入などを考えて名の通った会社を選んだということだった。
無意識に自制することに慣れすぎた日本の若者にとって、本能のまま突き進むことは一番難しいことなのかもしれない。
「自己実現=幸せ」の構図が確立しつつある現代で、若者はさらに苦しい立場に追い込まれていると感じる。学校教育では「諦めずに頑張れ」と言ったほうがきれいに聞こえるし、子どもの精神衛生上もいいような気がするが、そのせいで苦しむ子どもたちの方が圧倒的に多いと思う。その教育の延長線上に「名の通った大学」「名の通った会社」を目指し、それ以外は敗北という思考を生んでしまっているのだ。
一人でも多くの子どもが「幸せ」になれるよう、競争社会の教育現場で多様な横道(逃げ道)を伝えていくことも教師の大きな役目だと思う。