子どもを常識でしばりつけること

私の知っているある男の子はゲームを始めると周りの声が耳に入らなくなり、物理的に取り上げるまでやめることができません。何度約束してもだめなので、結局ゲーム禁止になってしまいました。勉強にも興味がなく、母親ともいつも言い争いをしています。最近は高校にはいかず一生親のすねをかじって生きていきたいと言っています。

でも決して悪い子ではなく、感情が豊かでとても素直な子です。約束が守れないとか、我慢できない、やるべきこと(?)がわかっていない、など、足りないところは山ほどあるのでしょうが、「ゲームの他に興味をもてないこと」が一番の問題だと思います。生きている世界が本当に狭いんですよね。学校と家しかないわけですから。だから「ゲーム以上に面白いこと」が見つけられないのです。

 

もう世界レベルで高校や大学に行くことが当たり前となっていて、勉強することが前提となっている中で我が子だけが勉強しないのは本当に不安だと思います。

が、私はどうして「サッカーばっかり」がよくて「ゲームばっかり」が悪いのかよくわかりません。同じじゃないですか?どちらも学校の勉強じゃないんですから。ゲームに市民権がないのはいつの時代も同じようです。私は一日のゲーム時間は親と約束して制限されていましたが結構隠れてゲームしていました。この子と違うのは学校生活をちゃんとこなしていたように見えていたことだと思います。(これで宿題やらなかったり、先生からクレーム来たりしていたら違っていたのでしょうが。)ゲームだって最近は仕事につながることも多くなっているし、今はゲーミフィケーションという言葉もキーワードになっているくらいです。ゲームというフィルターを通せば現代社会の仕組みが垣間見えたりするのですからゲームの経験がある人はアドバンテージになるかもしれませんよね。

何かに没頭するという経験は何者にも代えがたいものだと思います。ある種の成功体験だったりします。その集中力は他でも発揮できるはずです。私の場合の、ドラクエ4とドラゴンボールへの異常な没頭には、世間話のときや他の大人がドラクエドラゴンボールを語るときに「わかるわー」と共感できるメリットがあるくらいですが、私の根底に流れる「自信」のようなものになっていると感じます。

 

 何も考えずに周りに合わせて高校は行くものだと思い込んでいる子が多いのに対して、この子は、高校に入ったら自分の嫌いな勉強を更にしなければならない、働くということもとても大変なことでそれは自分にはできない、と先を読めるすごい子だなと思います。

まずは学校と家の往復以外にも世界は広がっていること、ゲーム以外にも面白いことはたくさんあることを早く教えてあげることが必要だと思います。周りの大人がどんどん新しい世界を見せて、一緒に喜んだり驚いたりして好奇心を育まなければ、この子は今後幸いにも興味があることを見つけられたとしてもそこに迷わず没頭することはできないのではないかと思います。

これから世界は目まぐるしく変わっていきます。そして今まで常識だと考えていたこともどんどん色あせて時代に合わなくなっていくでしょう。そこで大事になってくるのは新しいことに興味を持てる好奇心ではないかと思います。たとえそのときは役に立たなかったとしても、一度好奇心を持って何かに没頭するという体験が血となり肉となりその人の人生にじわじわと効いてくるのです。

 

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