先生に個性を

私は先生を人だと思っていませんでした。尊敬するどころか、自分よりも下の存在だと考えていました。自分と同じように家に帰ってご飯を食べて、週末にはどこかへ出かけたり、平日の朝には私みたいな生徒に会いたくないと思いながら仕事に出かけているなんてこれっぽっちも考えませんでした。親も私たち子どもに苦労を感じさせまいとして大変な姿をあまり見せてくれませんでした。私はまじりっ気のない子ども時代を満喫できた幸せものであったと同時に、不幸にも自分のこと以外に興味をもつことができない人間になってしまったことにも繋がったと思います。将来のことにもほとんど考えが及ばず、「大学」という存在も高校3年生でやっと気づいたという有様です。

おそらく日々の業務や生活が忙しく、自分の体験を語るという時間が取れなかったというのも原因かもしれませんが、もっと色々な大人、身近な先生や親がせきららに自分の人生をさらけ出してくれていれば、自分にももっと違う人生があったのではないかと思います。

 

世の中にはたくさんの人がいて、それぞれがそれぞれの人生を生きています。また、我々は歴史からも学ぶことができます。子どもの頃は住んでいる世界も狭く、考えも偏りがちです。だからこそたくさんの考え方に触れるために様々な教科を学び、知識を深めています。しかしそれ以上に、すでにたくさんの世界を知っている周りの大人たちこそが子どもの視野を広くできる存在なのかもしれません。世の中には自分の知らない世界があるのだと知ることが子どもたちの将来に大きな影響を与えるのです。

次期指導要領にも、外部から人を招き、授業や講演をすることで外の世界との繋がりを確保するということが書かれています。もちろん様々な分野の大人と接する機会を増やすことは重要ですが、一番身近な他人である先生がどんな人生を生きてきてどんな毎日を送っているのかを積極的に話してもいいのではないかと思います。

 

私が子どもの頃の大人たちは、子どもと距離をおき、自分の弱みをできるだけ見せないようにして何か「クールな大人」を演じて年長者としての威厳を保っていたように感じます。これからは誰も予想できない時代に突入していきます。今の大人たちは、新しい問題に直面する子どもたちに、自分たちが経験したことを腹を割って伝えて行くべきだと思います。

 

まんがで知る教師の学び これからの学校教育を担うために

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