国語がおもしろくなかった

みなさんは中学・高校の国語の授業は好きでしたか。

私は「あまり覚えていない」というのが正直なところです。勉強したという記憶が無いのです。私はどちらも公立の学校に通っていました。

中学1、2年生の頃はおそらくおとなしく授業を受けていたと思うのですが、どういうわけか3年生の国語は授業崩壊していて、トランプをやっていた記憶があります。さすがに受験近くなるとみんな大人しく席に座っていましたが、勉強したという記憶はありません。

高校は一応進学校という位置づけでした。古文・漢文はそれほどでもなかったのですが、現代文は苦手で、4択はよく間違えていて、記述式なんて必要文字数が埋められないこともしばしばだったように記憶しています。間違えるたびに「お前(出題者)、作者に直接聞いたのかよ」と見えない何かに反発していました。センター試験の目標は他の教科よりも低く設定していたほど、国語には苦手意識がありました。

大学に入り、国語の授業が好きだったという人に出会い、驚きました。私が入った学科が日本語学科だったこともあったのかもしれませんが、本好きの人が多かったことにもカルチャーショックを受けました。さらに、クラスで精読していた際、全く漢字が読めず、周りの失笑を買いました。

 大学(の日本語科)という世界で私は日本語の経験値の差を痛切に感じましたが、卒業後にどのような世界に飛び込むかで求められる日本語力は違うと思います。それほど求められない世界に入った人たちは「やっぱり国語は必要なかった」と思うかもしれません。実は、私も「もっと国語の授業を頑張っておけばよかった」とは思っていません。当時の私には絶対に国語にそれ以上の興味を持てなかっただろうからです。

しかし、当時の私が興味を持って国語の授業を楽しく受けられていたら、もっと文章の世界に浸る経験ができていたら、世の中の事象を詳しく観察し考察することができていたら、もっと豊かな生活を送れていたことは明白です。

中学高校の国語の授業を振り返ってみると、文章の面白さ、考える事の大切さ、そして何より、「どうして国語を勉強しなければならないのか」を教えてくれる先生は一人もいませんでした。(少なくとも私には伝わりませんでした。)

国語は様々な文章を通して生徒に多くの話題を提供できる教科です。授業の中心として位置づけられていたセンター試験や大学入試も大幅に変わります。好奇心を育てる授業を通して豊かな言語活動が行える場をこれからの社会を生きる子どもたちに提供する必要があると思います。そして、国語を教える立場として「どうして国語を勉強しなければならないのか」を生徒に問われた時、生徒の目を見てその問いに答えられるように、このブログを通して答えを考えていきたいと思っています。