やっぱり「クラス」を破壊しよう

 

いじめはどうして起こるのでしょうか。

 

いじめられる人が悪いことをしたから?

いじめる人が悪い人間だから?

周りの人が見て見ぬふりをするから?

 

そうではありません。人間は「集団」に属してしまうと弱いものをいじめてしまう生き物なのです。いじめは日本特有の問題ではありません。世界中で起きています。

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「名誉殺人」はいじめとは程遠いようにも感じますが、これもある集団の中で根強く残っている弱いものいじめです。

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世界で起きているいじめは国や地域によって様々な背景がありますが、日本では<空気>がかなりのウェイトを占めていると感じます。

『国語教室』第108号の「読んできた本、読んでほしい本⑫」(https://www.taishukan.co.jp/kokugo/webkoku/kikanshi/kokugo_108/kokugo_108_32.pdf)で鈴木のぞみさんは以下のように話しています。

 

彼らはクラスや友達のグループから浮くことを嫌い、自分の価値観を曲げ たり、考え方の合わない人と付き合ったりしても、「みんな」の輪の中にいようとする。話を聞いてみると、「本当はあまり居心地が良くない」、「周りの子の行動を良いものだとは感じないが、指摘してハブられたくない」といったような言葉が出てくる。

 

周りの空気を読んで我慢する。もし空気を乱してしまったら何をされるかわからないから。そしてその後も変わらずその集団で過ごさなければならないコストは膨大だから。

 

みんな仲良くしましょう。

小学校の先生がよく言いそうなフレーズですが、これも集団の空気を読むことを強いる言葉です。

大人の社会では「みんな仲良く」しているでしょうか。馬が合わない人がいればコミュニケーションを減らすでしょうし、どうしても無理であれば、所属する集団を変えることもあるでしょう。

大人でも大変な「みんな仲良く」をどうしてコミュニケーションの経験が浅い子どもに強要できるのでしょうか。

そんな弱いものいじめが自動的に発生する状態を子どもの頃から強要され甘受してきた完成形がテレビバラエティー村であり、テレビワイドショー村であり、twitter村です。

何か少しでも弱い部分を見つけて笑いものにする。それを集団で責め続けて謝罪させる。社会的弱者に仕立て上げて二度と再起できないように完膚なきまでに打ちのめす。

これは日本的村社会の末期症状ではないでしょうか。なぜ個性が大事だと言っておきながら集団に染まることを求めるのでしょうか。

 

大坂なおみ選手に日本語でのインタビューをさせたがるのも、飲み会に参加しなかった人の悪口を言い合って安心するのも、すべての始まりは学校の「クラス」に押し込まれることから起こっている気がしてなりません。

この国にはかつてない閉塞感が漂っています。一刻も早く「クラス」を解体すべきです。

 

群衆心理 (講談社学術文庫)

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