学校は行かなくてもいい

今話題の

不登校は不幸じゃない

のムーブメントの中心人物・小幡和輝さんの『学校は行かなくてもいい』を読みました。

 

逃げてもいいんだよとは軽くは言えなくて、その後のこともしっかり親子で考えてほしい、その後はコミュニティーに属することが大切だと考えている小幡さん。

確かに死ぬほど嫌な学校に行きたくなくて本当に死んでしまうより、逃げるということをするべきです。でもその後不幸にも家から出られなくなってしまい、将来に不安をいだきながら悶々と生きている人が多くいます。だから軽々しくまずは逃げろとは言えない。興味深かったのは、この本の中に出てくる不登校を経験した方々は学校は必要ないと考えている人もいれば、できれば学校に通う普通の生活が送りたかった、という人もいたことです。「不登校=〈学校〉が嫌い」というイメージありますもんね。ある人には学校はとてもいいシステムで、ある人には窮屈で嫌な場所。やはり変わるべきは学校とそこに合わなかった人を受け止める方法だと思いました。

 

 

少しずつ学校以外の選択肢も出てきていますが、それは本当に少しずつであって、まだまだ現実に追いついていません。なので、学校の中も多くの人が居やすい場所に変わっていかなければなりません。

では、それをするのは教師か。ずっと変わらないで来た学校教育を現場の教師一人が変えようとするのは消耗して終わるだけなので、効率が良くないし、志を持った人を潰してしまうことになるのであまり選びたくない手段です。やはり首長や校長、教育委員会が現代にあった教育デザインを考えるべきです。

 

はるかぜちゃんの記事(なぜ「いじめ」はなくならないのか?春名風花さんがたどり着いた結論(夏生 さえり) | 現代ビジネス | 講談社(1/5))にもあったように、学校のいづらさは知らない人がいきなり同じ箱の中に入れられて一年間仲良くしろと言われること。無理やんけ。まずはそういう人間関係に無駄なストレスやコストを払わなくてもいいようにすること。

その他にも、一律に同じことをさせるなど、子どもを精神的に追いつめるようなデザインはたくさんあります。すべてを「当たり前」と考えず、子どものために必要なものと不必要なものに丁寧に分けていくことが必要です。

 

 

学校は行かなくてもいい ――親子で読みたい「正しい不登校のやり方」

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